天狼星の欠片

自作の小説や趣味について雑多に書きます

ことだま

「言霊って知ってる?」
 僕の枕元に立った幼馴染みの少女は、突然そう訊いた。
「人間が紡ぐ言葉の一つ一つには、魂がこもっているという、日本人に古くからある考え方。だよな?」
 彼女は、黙って首を縦に振った。
「言霊の力は、確かに存在するの。そしてそれは、私たちの想像を遥かに越える威力を発揮する。いい意味でも、悪い意味でも」
「ああ、知ってる」
「でも私ほどには知らない、よね?」
「ああ」
 彼女は俺を通り越して壁を見つめるような、そんな遠くを見るような眼差しをした。彼女はたまに、こういう表情をする。そのことをもっと早く気にかけていたら……なんて、今更思ったところで、もう結果は変わらない。事実は、覆せない。
「なあ、何でお前……」
「言ったでしょ。言霊は、あなたが思っている以上に強大で、異常なの。私の心は、もう誰にも戻せない。あなたにもね」
 そう言って彼女は俺から眼を反らした。一瞬光るものが見えた気がしたのは、気のせいではなかったと思う。
「でも! だからこそその言霊を上手く使えば、お前の心だって戻せたはずだ。少なくとも俺には……っ」
 彼女は背を向けたまま、後ろで手を組んだ。
「確かに、言霊を上手く使えば、暖かい気持ちになれる。幸せにだってなれる。でもね、一度負った傷は絶対消えないの。一生、消すことは出来ないの。だからあなたには知っておいて欲しかった。人間の心は、ガラス細工よりも割れやすくて、脆いということを。だから、何でも思ったことを言えばいいんじゃないってことを。口に出した時点で、言霊にしてしまった時点で、もう誰にも元に戻せないということを」
 途中から涙声になり、終わりの方には嗚咽も混じっていたが、それでも彼女は最後まで続けた。彼女の、最期の言葉を、精一杯紡いだ。
「ごめんな。お前のこと、救えなくて。お前のこと、誰よりも分かってたつもりだったのに」
「いいよ。あなたは何も悪くない。それに、今の言葉で私、ほんの少しだけど暖かくなった気がする。ありがとね。私の幼馴染みでいてくれて。いつも一緒にいてくれて。そして……先に死んじゃって、ごめんね」
 彼女は最期に振り返ろうとして、横顔を見せたところで躊躇して、そして消えた。
「何だよその顔。そんな顔、最期に見せんなよ。そんな悲しそうな顔するなよ馬鹿野郎!」
 言ったところで、もう彼女には届かない。ただ俺の言葉は虚しく響き、俺の心を一層惨めにした。

 彼女は、心優しい、誰にでも好かれる少女だった。だから彼女のことを嫌う人なんて現れず、言葉の刃なんて全く知らずに過ごしてきたのだろう。あの時までは。
 あるとき、彼女に突っかかる女子が表れた。そいつは誰にでも好かれる彼女を妬み、彼女を貶めようとした。
 周りの人間は、そんな愚かなやつに流されるほど腐っていなかった。それでもそいつは、一人で俺の幼馴染みに酷い言葉を浴びせた。
「性悪女」
「偽善者」
「尻軽」
 思い出すだけでヘドが出そうだ。俺を初め周りの人間は「気にすることはない」「誰もそんなこと思っちゃいない」と彼女を慰めた。彼女は気にしてないと、笑った。
 その頃からだと思う。彼女がボーッと遠くを見るような眼をするようになったのは。
 そしてそれから間もなく、彼女は首を吊った。一言「ごめんなさい」とだけ書かれた遺書を遺して。

 彼女がどれだけ苦しんでいたのか。それは彼女の言う通り、俺たちには察することの出来ないほど、酷いものだったのだろう。たとえたくさん味方がいても、たった一人の力で人を壊すことも出来る。彼女は、そのことだけは、忘れてほしくなかったのだろう。

 僕も決して忘れない。言霊の力を。