天狼星の欠片

自作の小説や趣味について雑多に書きます

カタストロフィな恋

 隣県で一人暮らしをしているお姉ちゃんからメールが来た。私からはよくメールするんだけど、お姉ちゃんからなんて珍しい。しかも、件名が『お願いがあるの』ときた。お姉ちゃんが私に頼みごとをするなんて、一緒の家に住んでいた頃から一度だってなかった。何かマズイことになったのではと胸がざわついたけど、本文を開いてみたら、それが杞憂だったとわかった。

『やっほー優季、おねーちゃんですよー。
 突然で申し訳ないんだけど、今度の週末って空いてるかな? 優季に是非会って欲しい人がいるんだあ。
 無理にとは言わないけど、いい返事期待してるねっ。
 じゃっ』

 これって、これって! もしかしなくてもアレだよね。会って欲しい人って……! いやあ、彼氏いない歴イコール年齢だったお姉ちゃんにねえ。ようやっとですか。

『うん、いいよー。
 てことはお姉ちゃん、彼氏さんと一緒にこっち帰ってくるの?』

 それだけのメールを送ると、携帯を握ったままベッドに転がり込んだ。
 お姉ちゃんは、とても可愛い。大きなくりくりした瞳はとても澄んでいて、腰まで伸ばした黒髪が白い肌にマッチしている。一見近寄りがたい美人だけど、柔和な表情がとっつきにくさを相殺している。おまけに童顔。こないだ二十歳の誕生日を迎えたというのに、現役女子高生の私よりも幼く見える。まあ、お姉ちゃん自身はそれがコンプレックスで、私の妹と見間違えられる度いじけてたんだけど。
 そんなお姉ちゃんだから、むしろ今まで彼氏がいなかったということが驚きだ。お姉ちゃん曰く「私が好きになった人が私を好きにならなかったんだから、しょうがない」らしいんだけど。とか考えてるうちに、返信が来た。

『なっ、何で彼氏ってわかったのさー。優季もしかしてエスパー!?
 まあ、うん。そうなの。ありがとね。あっ、お父さんやお母さんにはこのこと内緒ね。ゆくゆくは紹介したいかなーって思ってるけど、それはまだ先がいいから』

 文面だけで、お姉ちゃんが顔を真っ赤にして照れてる姿が容易に想像できた。よかったね、お姉ちゃん。やっと自分と相手の想いが一致して、結ばれたんだね。どんな人かはわからないけど、お姉ちゃんのことを大切にしてねって彼氏さんに頼まなくっちゃ。

 

 ***

 

 家から電車で十分ほど揺られて、お姉ちゃんと待ち合わせしている喫茶店に来た。ここは私の通っている高校のすぐ近くで、平日の夕方などは高校生でごった返しているんだけど、日曜の昼前となるとカップルや家族連れが客の多くを占めていた。
 約束の時間より五分ほど早く着いたけど、お姉ちゃんの姿は既に入口から離れた四人掛けのテーブルにあった。その横にいる、短髪の男の人が、そうなのかな。

「久しぶりー優季。正月以来だねえ」
ゴールデンウィークも帰らないって聞いてたから、お盆まで会えずじまいかと思ってたよ。それで、この人?」
 私が彼の方を向くと、真正面から視線がぶつかった。
「君が優季ちゃん? 初めまして、葛城一です。香苗からよく話聞いてるよ」
「初めまして。お姉ちゃんが私のことを?」
「ああ、可愛くってしっかりしてて、お姉ちゃんみたいな妹だって」
「ちょっ、ハジメ君。そんな恥ずかしいこと言わないでよー」
 お姉ちゃんの口調には、咎めるような色の中に甘えた色が混ざっていた。今まで見たことのない姉の姿に、思わず笑みがこぼれた。
「あーっ、優季まで笑ってー。もうっ」

 三つのコーヒーカップを他所に、思いの外会話が弾んだ。同じ学部だというハジメさんが大学でのお姉ちゃんのことを、私が高校時代までのお姉ちゃんのことを語っては、お姉ちゃんが恥ずかしそうに遮る。そんな展開がほとんどだったんだけど。
「そういえば、告白はどっちからしたの?」
 そう訪ねた頃には、もう日が傾きかけていた。
「実は、私から……」
「えっ、お姉ちゃんから!? っへえー」
 てっきりハジメさんからしたものだと思ったんだけど、へえ。あの奥手のお姉ちゃんがねえ。
「思い出したら恥ずかしくなってきたよ。あの時の香苗、殺人的に可愛かったな」
「っ! もうっやめてよお、優季の前で」
「あーはいはい。仲のよろしいことで」


 帰りの電車に揺られながら、今日のことを思い返していた。結局店を出る頃にはすっかり日が落ちてしまい、二人とも奢ってくれたばかりか、駅まで送ってくれた。
「何かもう、色々ありがとうございます。お姉ちゃんをお願いしますね、ハジメさん」
「おうよ、任せとけ」

 その顔はとても頼もしくて、安心してお姉ちゃんを任せられるなと思った。ハジメさん。活発そうな顔をしてるけど、とても誠実な人だったな。お姉ちゃん、いい人に出会えたんだね。そう考えた一瞬、胸がチクンと痛んだ。

 

 ***

 

 それから一週間が経った頃、ハジメさんからメールが来た。その内容を見たとき私の心が大きく跳ねたのが、悪い予感からのものなのか、はたまた期待してのことなのかはわからなかった。

『こんちわ。ハジメです。こないだはありがとね。
 それで、優季ちゃんにお願いがあるんだ。俺、免許証なくしちゃってさ。あの店あたり怪しそうなんだ。学校行きがてら訊いてみてくれないかな?
 もしあるようなら、今夜にでも取りに行くから』

 果たして、例の喫茶店ハジメさんの免許証はあった。レジの前に落ちていたと聞いたから、きっと勘定の時に落としたのだろう。そう伝えると、本当に彼は現れた。
「いやあ、すまんね」
「いいですよ。どうせ学校行ったついでですから。それより、ハジメさんこそよく来ましたね。結構かかるんじゃないですか?」
「んいや、車でかっ飛ばしてきたから、一時間程度だよ」
「……それ完全に無免許運転じゃないですか。捕まっても責任持てませんよ」
「たとえ捕まっても、それを優季ちゃんのせいにはしないって」

 何だろう。まだ会って間もないのに、ハジメさんと喋ってるとそんなことを忘れさせられる。まるでずっと前から親しかったかのように。人との壁をとっぱらうのが上手な人なんだな。彼を知れば知るほど、心をギュッと掴まれる。
 って何考えてるの私! 相手はハジメさんだよ。お姉ちゃんの恋人だよ。いくらいい人だからって、こんなこと考えちゃダメだって!

「どしたの優季ちゃん? さっきから難しい顔をしたかと思えば、ニヤニヤしたりして。可愛いなあ」
「かっ……!?」
 可愛いだなんて。ハジメさんが、私に? 多分からかわれてるだけだと思うけど、それでもドキドキしちゃうよお。

 

 この日は、ハジメさんが家まで車で送ってくれた。色々話した気がするけど、その内容は全く覚えていない。


 そして、それ以来頻繁にハジメさんからメールが来るようになった。

 

 ***

 

『よっ優季ちゃん。元気かい?』
『ホント可愛いなあ』
優季ちゃんのそういうとこ、好きだよ』

 日に日にハジメさんから来るメールの数が増え、そしてその内容もどんどんエスカレートしていった。そして、お姉ちゃんに関する話題はもうほとんど聞かなくなってしまった。でも、何故かこのことをお姉ちゃんに言う気にはならなかった。ただからかわれてるだけ。そのはずなのに。


 そしてついに、私の我慢の限界が来た。これ以上続けられれば、私は自分の気持ちが抑えきれなくなる。そうした予感がして、ハジメさんにもうからかわないで欲しいという旨のメールを送った。数十秒後、ハジメさんからの着信が来た。メールではなく、通話の。

「もしもし」
『ごめんな、優季ちゃん。気を悪くしたみたいで……それは謝るよ。ごめん』
「いや、そんなに怒ってるわけじゃないですから」
 免許証を渡したとき以来に聴くよく通る声に、自分の声が上ずるのを感じた。今の、バレてないよね?
『それならよかった。……でもな』
 その続きは聞きたくない。本能的に察したけれど、止める間などなかった。

『からかってるつもりなんてないよ。全部、本気だよ』

 

 

「やめてください」
優季ちゃん――』
「やめてください! 冗談でも本気でも、そんな言葉聞きたくありません」
 嬉しかった。ハジメさんの力強い声が、熱い想いが、嬉しかった。だからこそ、苦しかった。ハジメさんがお姉ちゃんの彼氏だから。大好きなお姉ちゃんを裏切ることなんてしたくないから。
「このことは忘れます。お姉ちゃんにも言いません。だから、ハジメさんも忘れてください。お姉ちゃんを、絶対に悲しませないで」
 ハジメさんの返事が聞こえることはなかったけど、構わず電話を切った。これでいいんだ。お姉ちゃんを悲しませないためには、これしかないんだ。

 

 ***

 

 それ以来、ハジメさんから連絡が来ることはなくなった。これでもう、お姉ちゃんたちの方は心配いらないな。あとは、私の胸で燻ってるこの気持ちを、どうにかして消化するだけ。

 そう思っていたけど、学校の前で待ち構えていた、かつて見たことがない鬼のような顔をしたお姉ちゃんに遭遇したとき、事態が最悪な方向に向かっていることを知った。ハジメさんとの連絡が途絶えてから、ちょうど一週間が経った時のことだった。


「お姉……ちゃん?」
 どうしたの。ハジメさんから何か聞いたの。何があってそんなに怒ってるの。訊きたいことがたくさんあり過ぎて、うまく言葉が出てこない。いつもなら、お姉ちゃんはそんな私が気持ちを整理するまで笑顔で待ってくれる。でも今日は、最初一瞥してからは一切私の方を見ようとはしない。敢えて視線を逸らしたまま、どこかへ歩き出してしまう。いや、どこかにといったけど、お姉ちゃんがどこに行こうとしてるのかはもうわかった。というか、ここしかない。そして、ここに行くということが、お姉ちゃんの用が私とハジメさんのことについてだということを決定づける。

 私とハジメさんが初めて会った、高校の近くの喫茶店。放課後ということで、私と同じ制服を多く見ることができる。だが混雑しているというほどでもなく、皮肉にもあの時三人で座ったテーブル席は空いていた。
 迷うことなくそこに座ったお姉ちゃんは、私の意見を聞く前にコーヒーを二人分注文した。そのことに文句を言うなんてことは、今のお姉ちゃん相手にはできなくて、ただ俯くしかなかった。顔を上げるのが怖いと感じるなんて、お姉ちゃん相手には初めてだった。

ハジメ君がね、突然別れようって言ってきたの。何でだと思う?」
 淡々と喋るお姉ちゃんの口調はゾッとするほど冷たくて、尚更顔を見れない。
「ご、ごめんなさい。私のせいで――」
「ううん、優季は悪くないわ。悪いのは全部、あの浮気者ハジメ君」

 優季は悪くない。その一言で、お姉ちゃんは私には怒ってないのではと、淡い期待を抱いた。そして顔を上げてしまった。お姉ちゃんの顔を正面から見たら、顔を上げてしまったことを後悔した。
 お姉ちゃんは、笑っていた。底抜けに明るく、狂気の混じった笑みだ。
優季は悪くない。でもね、許せないの。私の大切なハジメ君の心を盗んでいった優季を、許せないの」
 笑っている。けど、お姉ちゃんの瞳は笑っていない。底知れぬ闇の奥に映る少女が、恐怖で顔を引きつらせている。それ以外の、普通ならば宿っているはずの光が、感情が、今のお姉ちゃんにはない。

 本能がひっきり無しに危険を伝えているけど、私の身体は一ミリも動かなかった。恐怖で硬直し、動けなかった。お姉ちゃんの手が私の首に伸びても、それは変わらなかった。
「だから、ね。そんな悪い子の優季はいらないの。目障りなの。だから、永遠にさようなら。ハジメ君と同じように」
 お姉ちゃんの手に力がこもり、息が吸えなくなる。視界がどんどん狭くなって、意識が白くなってゆく。そっか。お姉ちゃんがこの席を選んだのは、何もあの日のことを意識しただけじゃない。始めから私を殺すつもりだったんだ。入口や厨房からは死角になる、この席で。


 やがて身体から力が抜けた。その頃にはもう、苦しいという感覚すらなかった。意識だって、もう数秒ともたないだろう。ああ、一つの恋が、こんなにも破滅をもたらしてしまうだなんて。最期に、全ての力を振り絞ってお姉ちゃんの顔を見た。きっと無感情のままなんだろうなという私の考えは、いい意味で裏切られた。
 お姉ちゃんは、泣いていた。ありったけの涙を流しながら、それでも私の首に回した手の力を緩めない。


 お姉ちゃんの口が、僅かに動いた気がした。

 


 ご・め・ん・ね

 


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