天狼星の欠片

自作の小説や趣味について雑多に書きます

小さなレストランの一人娘とバイトの俺

 冬になると雪こそ滅多に降らないものの、暴風警報が出てるんじゃないかと思うほど強烈な北風が吹き付ける。田んぼか、大きくて二階建て程度の一軒家くらいしかないこの地域では、勢いを殺されることのない突風が容赦なく襲う。その風故、平均気温でいえば日本の中でも決して低くはないが、体感温度でいえば雪国と大差ないという気候なのだ。俺はこの風と共に過ごす冬は十六回目になるのだが、未だに慣れない。他の地域の冬を体験したことがないから何ともいえないが、ここの冬は決して生易しいものではないと思う。
 そして、今日は十二月二十五日。世間は華やかなクリスマスなのだが、俺は――。
「ほら、裕二君ボーッとしない。ちゃっちゃとそのテーブル片付けて出来上がった料理を運ぶ。洗い物だって溜まってるよ?」
 年下の女の子にこき使われていた。

 髭を蓄えた店長兼オーナーシェフの将吾さん。シェフ兼ホールリーダーで将吾さんの妻である、妙子さん。そして二人の一人娘でホール兼洗い場兼新人教育係の、真菜。この三人だけで成り立つ小さなレストラン『すみよし』に俺がバイトとして入ったのは、高校入学と同じ、今年の四月だ。元々家が近所で、俺もよく家族でこの『すみよし』を訪れていた。ささやかながらも温かみのある料理は、地元の評判も上々だ。俺はホールと洗い場担当ということになり、担当が同じ真菜に俺の教育が一任された。そう言えば至極真っ当なことに聞こえるが、この真菜という子、俺より二つ年下の中学生なのだ。中学生ながらテキパキとホールと洗い場の仕事を捌き、それでいてお客さんへの愛想も絶やさない姿は、確かに尊敬に値する。現に、真菜目当ての常連さんだって何人もいる。けれど、あくまで中学生だ。そして、俺は高校生だ。仕事の立場でいえば確かにこいつの方が上だけど、俺の方が歳は上なのだ。それなのに真菜は、俺に対して全く遠慮がない。温厚な将吾さんや妙子さんには、ここまで酷い扱いはされない。それなのにこいつは。
「ちょっとこっちばっか見ないでよ変態。変なこと考えてる暇があったらもっと真面目に働いてよ」
 この有様だ。
 しかし実際、真菜は見とれてしまうほど可愛いのである。短い髪を包むバンダナも、膝上丈のエプロンも、清楚な真菜の魅力を最大限に引き出している。いつもコケのように扱われてさえいなければ、今頃こいつに惚れてたかもしれない。まあ流石に中学生に手は出さないけど。女子なんて高校行きゃあ引く手あまただし。

「いらっしゃいませ」
 扉の開く音に、反射的に声を掛ける。入ってきたのは、常連の老夫婦だった。
「おおこんばんは真菜ちゃん。相変わらず可愛いねえ」
「もうまたまたー。褒めても何も出てきませんよー」
 このような老主人と真菜のやり取りはいつものことだ。そして――。
「裕二君はいつ見てもイケメンだねえ。あたしがもう四十ほど若きゃあ、ほっとかんに」
「そんなことないですよ」
 この奥さんが俺のことを褒めちぎるのも、近頃恒例になりつつある。まあ改めて言われるまでもなく、そんなことは自覚してるが。自意識過剰だって? いやいや、女子とすれ違う度黄色い声が聞こえたり、俺が特定の相手を作らないことをいいことにひと月に二、三人のペースで告白されたりしたら、嫌でもそんなの自覚する。顔について褒められることも多いしな。
「じゃあこの方たちの注文お願いね、イケメン君」
 俺にこんな対応をする女子って、こいつだけなんじゃないだろうか。イヤミに語尾を強調してきたのには、流石に腹が立った。勿論表面上はにこやかに済ませるけど。お客さんの前だし。
「やっぱり真菜ちゃんは可愛いのう」
 いやいや、今のどこに可愛い要素がありましたか、お客様。

 先ほどの老夫婦を皮切りに、次から次へとお客さんが入ってくる。あっという間にテーブルは埋まり、店に入りきらないお客さんはこの寒い中外で並んでいる。そんなお客さんを気遣い、真菜はコップ一杯のコーンスープを配り歩いていた。料理の方が追いついていないとはいえ、店の仕事を回しながらである。改めてこいつのバイタリティに感服だ。
 勿論、普段からここまで忙しいわけではない。もしそうなら、この一家はとうに過労で倒れている。今日が異常なのだ。聖夜を共に過ごさんとする家族連れやカップルが、次から次へと訪れる。それだけクリスマスをここで過ごそうと考えている人が多いということは、それだけこの店が愛されている証拠だろう。その気持ちは俺もわかる。でもいざ働く側になると――。
「ほら裕二君、一番テーブルのオーダーを聞いて三番テーブルの料理を持ってってそれから速攻で溜まった洗い物片付けて飲み物を倉庫から補充してそれから」
「んな一気に言われて覚えられるかっ!」
 っと、ついつい本音が。でも既に真菜は別のテーブルの片付けへと向かった後だった。しょうがねえな。いっちょ気合入れるか。

 ぶっ通しで動き続けること五時間、夜の九時を回った頃、ようやくお客さんも落ち着いてきた。これくらい落ち着くと、いつもなら賄いが振るわまれる。でも今日は、真菜の「今日裕二君は閉店までお預けね」という一言で無しになった。どういうつもりなんだこいつ。パッと見はいつもと変わらないが、内心はこの忙しさで滅茶苦茶機嫌が悪いのか?
 とはいえ閉店は十時なので、あと一時間ほどの辛抱だ。もうお腹が減りすぎて逆に空腹を感じなくなっているし、そこまで苦痛じゃない。残りの仕事だって、少ないお客さんの相手をしながらのんびりと後片付けをするだけだし。

 最後のお客さんを見送った時には、閉店時間を二十分ほど過ぎていた。閉店間際にひと組のカップルが飛び込んできたからだ。毎度のことながら、表面上は笑顔で接するけど、こういう閉店間際に駆け込みで入ってくるお客さんには本当に腹が立つ。
「あ、裕二君と真菜はもう休んでていいわよ。片付けだってほとんど終わらせてくれたんだし」
「ありがとうございます。あ、俺の晩飯ってどうなってます?」
「おー裕二君と真菜の飯は裏に用意しといたぞー。ごゆっくり」
「ありがとうございます、将吾さん。じゃあ行こっか」
 俺以上に疲れているであろう真菜に声を掛けるが、反応がない。
「真菜?」
「あっうんそうだね。ちょっとすることあるから先行っててください」
「わかった」
 まあ二人きりになったって小言を言われるだけだしな。一人のが気楽か。……待てよ。“行っててください”? あいつが俺に対して敬語使うのなんて、多分初めてだぞ。どうしたんだあいつ。
 って、あいつがどうしようと知ったこっちゃないわな。そんなことより晩飯だ。今日は『すみよし』名物のオムバーガーライスだ。チキンライスの上にとろけるように柔らかいハンバーグを乗せ、それを半熟の卵で包んだものだ。オムライスの上には何もかかってないのだが、下のハンバーグには特性のデミグラソースが絡めてある。一度スプーンを入れると、卵とソースが絶妙に混ざる。俺の大好物でもあるこの看板メニューは、確か真菜も好きだと言っていた。
「いただきます」
 一口含むと、チキンライスの爽やかな風味とハンバーグの肉汁、そして固体と液体の中間を維持していた卵が混ざり合った。極限までお腹を空かしていたからか、元々絶品のオムバーガーライスが更に何倍も美味しく感じる。この味は多分、一生忘れられない。それほどのものだ。
「あーやっぱり先に食べちゃってる。先行っててとは言ったけどさ」
 振り返ると、エプロンとバンダナを外しただけではなく、服まですっかり着替えてしまった真菜が口を尖らせていた。そのような表情をすることも珍しいが、こいつの働いてない時の完全な私服を見るのって初めてだ。クリーム色のワンピースに、茶色のカーディガン。足には何も履いておらず、中学生だということを忘れさせるほど滑らかな曲線を描く生足に、思わずどきりとさせられる。そしてその手に握られていたのは、お洒落な装飾の施された白い箱。今日という日を考えたら、それは――。
「わりい、腹減ってたもんで。それで、それってクリスマスケーキか?」
『すみよし』は料理は勿論、ケーキを主としたデザートにも定評がある。それをタダで食えるだなんて、俺ここでバイトしてて良かった。
「うん。私が一から作ったから、あんまし自身はないんだけど」
 前言撤回。確かにこいつは手際がいいが、それはあくまでホールと洗い場の話だ。料理してるとこなんて一度も見たことがないのだが、果たしてそれでケーキを焼くなんて出来るのだろうか? 無事でいてくれよ、俺のお腹。
「ま、せっかく作ってくれたんだからありがたく戴くよ。さって、見た目はどうかなあ」
 箱から出てきたのは、チョコクリームを塗られて苺の乗ったホールケーキ……であろう茶色い塊だった。
「あっあのっそれは箱詰めする時に崩しちゃっただけだから。味は大丈夫だから。……多分」
「オーケー。最後の一言は聞かなかったことにするよ。それで、これは四等分にすればいいのか?」
 俺に、真菜。将吾さんと妙子さん。ここにいるのは四人。分けやすい人数でよかった。
「ううん。これ全部裕二君の分」
「……っはあ!? これ全部食うのか?」
「だって、裕二君のために作ったんだもん。でも、うん。多すぎるんなら私も手伝うから」
 そう言って真菜は、しおらしく俯いてしまった。待てよ。こいつがこんな反応するなんておかしいだろ。いつもなら「うるっさいね。いらないんなら食べなきゃいいじゃん!」くらい言いそうなものだが。いや、それ以前にこいつが俺のため“だけ”にケーキを作るなんて、そこからおかしい。さっきの敬語だったり、わざわざ着替えたことだったり、とにかく今日のこいつは訳がわからない。怒ってる訳じゃなさそうだし、本当にどうしたのだろうか。
「ありがとな」
 恐る恐るケーキを一口食べてみる。うん。ちょっと甘ったるい気もするけど、十分美味しい。ちょっとばかしこいつを見くびってたのかもしれない。
「うん、美味いぞ」
「ほほほほ本当にっ!?」
「嘘ついたって仕方ないだろ」
「よかった」
 見ると、真菜の目からは一筋の涙がこぼれ落ちていた。こいつの涙なんて見るのは初めてで、それはとても綺麗だった。いつもは性格の悪さである程度曇って見えるが、こいつはもともと綺麗なんだ。そのことを改めて認識させられる。
「お前さ、今日ずっと変だけど、どうかしたのか?」
「ひゃいっ!?」
 うん。やっぱりおかしい。こいつが俺相手に取り乱すだなんて。
「な、何にもないよ?」
「嘘つけ。いつものお前ならここで『何もないよバーカ』くらい言うだろ」
「それは……うん。確かにそうだね。てことはもう気づいちゃったの? その、私の気持ち」
「気持ち? 何のことだ?」
 真菜はふうと息を吐くと、目一杯俺の頬をつねってきた。
「いだだだだっ。何すんだコノヤロ」
「どうせならそこまで気づいてよ馬鹿。……あっ口にクリームがついてる」
「へ、どこだ?」
「ああいいいい。とったげる」
 真菜はクリームが付いているであろう口の端に顔を近付け――ペロリと舐めた。
「…………へっ?」
「お、美味しいね。さすが私。あはは――」
「…………」
 予想外のことが重なりすぎて、もう俺の思考は限界だ。分かることといえば、唇に残る真菜の舌の感触と、真菜の顔が異様に赤いことだけだ。
「もうっ、何か反応してよ。ものすっっっごく勇気振り絞ったんだからね」
「いでっ」
 真菜が頬を膨らませてデコピンしてくる。何なんだよこいつ。何だって今日はこんなに可愛いんだよ。ああもう――どうにでもなれ!
「んっ」
 さっきは唇の端を舐められただけ。今度は俺から真菜の唇を舐め上げ、生意気な舌に自身のそれを絡めた。慣れてないのか、真菜の口内からはとめどなく唾液が溢れてくる。音を立てて吸ってやると、真菜は恥ずかしそうにギュッと目を閉じた。
「確かに美味しいな」
「……馬鹿」
 そう言って目を逸らそうとする真菜の頬を両手で捕まえ、パッチリと開かれた瞳を覗き込む。
「それで、今日は何でそんなにおかしいのかな? 気持ちって何のことかな?」
「裕二君、今は明らかに気づいてるよね。分かっててからかってるよね」
「真菜の口からはっきりと聞かないことには分かんないなあ」
 真菜はキッとひと睨みすると、俺の耳を力任せに引っ張った。
「いででで、もげる! もげる!」
「――好き」
 そっと囁くと、顔を真っ赤にして突き飛ばしてくる。あまりの勢いに、思わず尻餅をついてしまった。
「それって、そういう意味か?」
「他に何があるのよ。それで、裕二君はどうなの?」
「俺は――」
 何でだろうな。普段周りにいる女子と比べたら明らかに幼いのに、何故か誰よりも可愛いと感じてしまう。別に俺、ロリコンとかそっちの気はないんだけどな。
「その、好きだよ。多分、他の誰よりも」
「多分って何さあ多分って。でもありがと」
 真菜が柔らかく微笑む。これはお客さんに愛想を振舞っている時の笑顔とは違う。もっと暖かい、特別な表情。
「こんな俺だけど、これからもよろしくな」
「うん! これからもバッチリしごいてあげるねっ」
「そっちは勘弁してくれー!」

 十二月二十五日。世間では華やかなクリスマスなのだが、俺は――。
「ふふふ、じゃあご飯食べよっか」
 年下の可愛い女の子とささやかな幸せを噛み締めていた。