指輪と男
今日は部活が長引いてしまったので、もう夜の八時を回ってしまった。夏の終わりにもなれば八時過ぎはもう真っ暗だ。普段通い慣れた道でも少々不気味なので、俺は自然と早足になっていた。
「あの……」
急に声をかけられて、ビックリして叫び出す所だった。落ち着け俺。
万が一そこにいるのがのっぺらぼうやろくろ首の類いのものなら一目散に逃げるつもりだったが、後ろに居たのは俺と同い年くらいの少女だった。
「すみません。今お時間とらせても大丈夫でしょうか?」
大丈夫な訳がない。まだ晩飯を食べてないんだ。俺は断るつもりで少女を見たーー。
俺は金縛りにあったみたいに動けなくなった。少し潤んだ大きな瞳、肩の辺りで揺れる髪、ほっそりしていながら女らしく健康的な身体、それらに見とれて、俺はこの少女をもっと知りたくなった。その欲求は、空腹をも忘れさせるほどだった。
「あの、ダメでしたか?それならーー」
「大丈夫っ! 全っ然大丈夫だよ!! で、どうしたの?」
少女は顔を輝かせて俺の手を握ろうとして、慌ててその手を途中で引っ込めた。
「ありがとうございます。実は、探し物があって」
「それを探すのを手伝ってほしいのか?」
「はい。母の形見の指輪なんです」
「わかった! じゃあ手分けして探そうか?」
俺は少女がいう指輪を探し始めた。しかし、すでに辺りは真っ暗である。ケータイの灯りを頼りに地面をまさぐるのは、かなり骨が折れる作業だ。しかし、少女の為だと思えば疲れも感じないものである。
何かに惹かれるような気分がして道の端に行くと、田舎道にそぐわない花束が置いてあった。というより供えてあった、という方が適切に思えた。なんとなくその献花が気になり、花の側にしゃがみこんだ。わりと新しい花だ。そういえば今日の朝通った時にはなかったし、まだ置かれてすぐなのかな?
すると、その花の傍でその存在を主張するかのように赤いものがケータイの照明に反射した。これはまさかーー
「見つけた! この指輪じゃない?」
「うんっそれそれ! 本当に見つけてくれてありがとう!!」
「どういたしまして。はい、どうぞ」
俺は赤い石が埋まった指輪を少女に差し出したが、何故か浮かない表情をしている。
「どうしたの?」
少女はずっとうつむいていたが、何か決意したような顔で俺の顔を見上げた。
「私に、ついてきてくれますか?」
「……わかった」
少女の真剣な顔を見たら、俺はとても断れなかった。
しばらく二人で歩いた。少女が大きなコンクリートの建物の前で立ち止まるまで、俺たちは一言も言葉を交わさなかった。
「病院?」
「うん。それで、私の病室は二〇五号室なの」
「何か病気なの?」
「病気じゃないよ……交通事故に遇っちゃって」
少女は喋りながらも二〇五号室へと向かって行く。その何かを決意した顔を見たら、俺は何も言えなかった。
二〇五号室の扉を開けると、すでにベッドの上で息を引き取った少女がいた。俺は思わず隣にいる少女を見た。
「おい、これはどういう……?」
「私は今日の朝、あなたと出会った場所でトラックにはねられたの。即死だったんじゃないかな」
俺は驚きのあまり何も言えなくなっていたが、一番訊かねばならないことを何とか絞り出した。
「えっと、じゃあ今俺の目の前にいる君は何なんだ?」
「私は何よりも母の形見の指輪が大事だった。だから私が死んでからも私の魂は指輪から離れられなくて、あの事故現場から身動きがとれなくなっちゃったの」
「それで指輪をここに持ってきて欲しかったのか?」
少女は泣いていた。そして、心なしか少し透けてる気もする。
「うん。本当に指輪を持ってきてくれてありがとう」
だんだんと少女が薄くなっていく。そんな……俺はもっとこの少女の傍にいたかったのに。
「もう、お別れなのか?」
「うん。短い間だったけど、本当にありがとう」
いつの間にか、俺の目からも涙がこぼれていた。
「君ともっと早く出逢えたらよかった」
「私も。でもゴメンね。もう逝かなくちゃ」
「わかってる。じゃあな」
「うん。元気でねっ!!」
「おぅ」
最後に微笑みながら、少女は完全に消えてしまった。
「……あいつの分も、強く生きなきゃな」
俺は涙を拭って、その病室を出た。