天狼星の欠片

自作の小説や趣味について雑多に書きます

孤島の伝聞

 海の果ての果てに、一つの大きな島がある。そこでは我々の世界からの干渉が一切無い、独自の世界が存在していると言い伝えられている。
 ある人は「一面穀物が耕されている、農業が盛んな島だ」と言い、またある人は「険しい山脈が連なり、山の裾には広大な草原に敷き詰められる、自然豊かな島だ」と言う。更には「巨大な城と石造りの活気溢れる城下町が広がる、都市型の島だ」と言う人もいる。これらの全てが正しく、全てが間違いである。何しろ、我々の中でこの島を見た者は一人もいないのである。海の最果てに行く手段を持たない我々には、島が本当に存在するのかを確かめる術すらない。

 であるからして、これから語られる孤島の話は、全てが真実で、全てが嘘である。そのことを踏まえた上で、この未開の地へ踏み込んでいただきたい。

 

 ***

 

 温暖な森の中で産まれ育った、一人の少年がいた。彼は至って平凡で、集落の仲間たちと共に果実を収穫し、美味しいワインを作っていた。集落の中で結婚し、子供を作り、ワイン造りに勤しむ彼らにとって普通の人生を送ると思っていた。十五歳の誕生日までは。
 十五歳。この集落では、(また彼らは知りえなかったが、この島全てにおいては)成人になったことを意味する。そのため、この集落では十五歳の誕生日を迎えた少年少女を、集落中の皆で祝う。少年少女は、人生最初のワインと共に大人の仲間入りを果たし、一晩飲み明かす。彼もまた、誕生日を迎えるにあたり祝宴が開かれ、幼馴染で二月先に大人になった少女の注ぐワインを飲んだことをきっかけに大人になった。そして、大人になると同時に彼は、気を失った。

 ふと気づいた時には、彼は炎の中にいた。炎に包まれながらも、不思議と熱くはなかった。まるで、炎が自分自身であるかのように。
「目を覚ましたか、豊穣の民よ」
 炎以外何もないそこに、一つの声があった。それは男のようであり、女のようであり、若いようで年老いているような、何とも形容しがたい声だった。
「あなたは一体……それにここは何なんだ。この不思議な炎は」
 少年が問うと、声が笑った。
「一度に何もかも問うでない。最も、今まで皆そなたと同じような反応であったし、恥ずることはない。私もまた、皆と同じように、一つ一つ答えるのみ」
 少年は固唾を飲んだ。相変わらず視界は炎で包まれていて声の主を見ることはできないが、不思議と恐怖は感じなかった。
「まず、私が何者であるか。これはそなたも、またこの島の誰もが知っておる。そなたたちの言う『神』と呼ばれる者、それが私だ。そしてここは私の住まいにしてこの島の生命の源、火山の中じゃ。そしてその炎は、そなたじゃ。そなたは今日から炎を使役する魔法使いなのじゃ。最も、厳密にはそなたが生を得たその瞬間から決まっていたのだが」
 少年は、衝撃の連続で混乱していた。多くの疑問を投げかけたが、疑問の全てに一度に答えられると、混乱するのは当然である。何しろ、彼にとっては非日常の連続なのだから。それでも彼は、多くの事実から一つの疑問を生み出すことができた。
「それで、神様。魔法使いとはどのようなものなのでしょうか」
 少年のその疑問に、声は大きく驚いた。
「何と、そなたは神と魔法使いのことを知らないというのか!? 今まで石の民も森の民も草原の民も、もちろん豊穣の民も、魔法使いのことを知らぬ者はいなかったというのに。いやはや何ということだ」
「申し訳ございません。神のことはもちろん知っていましたが、魔法使いのことは全く。何しろ私たちの集落にそのような者は一人もいませんし、他の集落とはほとんど交流がなかったものでして」
 少年は訳が分からなかったが、謝る他に何もできなかった。
「うむ、事情はわかった。私はそなたに対して怒っていない。思えば、そなたの集落から魔法使いを選出したのは、五百年前が最後だった。五百年そのことが伝承し続けてなく、他と交流がなかったとなると知らないのは当然。しかしそうなると、魔法使いについて一から説明した方が良さそうじゃな」
「お手数お掛けしてしまって――」
「気にせんでよいぞ。私もたまには誰かとゆっくり話してみたいからな。では、魔法使いとは何か。それを説明するためには、まずこの島の起源から話した方が良さそうじゃの」
 声によって語られる島の起源は、一万年ほど前に遡る。

 

 約一万年前ほど前、現生人類はこの頃発生したとされている。そして、神という概念もこの頃生まれた。概念はやがて形を持ち、真に人類を、世界を管理するようになった。神は様々な物に宿った。その中でも、海の果ての僻地に一つの海底火山があった。そこに宿る神が、現在の孤島を管理する神である。その神がひっそりと暮らす海域に、四人の人間が漂流してきた。孤島の神が初めて人間と出会った瞬間であった。人間に興味を持った神は、火山の噴火の力で周りの土地を押し上げ、陸地を作った。溶岩流が人間を避けるようにすることなど、神にとっては造作のないことだった。やがて目を覚ました四人は、神に感謝し、自分たちの力を神に捧げることを誓った。四人はそれぞれ、炎、水、土、草を自在に生み出し、操ることができた。そして、四人が力を合わせることで、神周辺の陸地程度なら気候を操作することもできた。そうして、神と四人の人間によって、少しずつ島を広げ、様々な気候を作り、個性豊かな土地を作った。このとき既に、現在の孤島とほとんど遜色のないほどの完成度だった。三つの山脈と一つの地溝、島西方の砂漠と沼地。後からできたのはそれだけである。
 四人は、神に自分たち人間の話をした。神も、人間の話を聞きたがった。自分と対等に会話ができる生命体は、人間の他にいなかったのだから。四人は、かつて巨大な大陸で暮らしていたが、巨大な国家に民族ごと滅ぼされた。彼らのように魔法を使えるのは人間でもごくわずかで、その力を国家が恐れた。魔法は、彼らの民族が大陸の神から授かったものだ。そういったことを、彼らは話した。この島に永住することを決意した四人はやがて、子孫を作った。そして、四人は年老いたとき、魔力を神に預けた。魔力は決して遺伝することなく、神によって授けられるのみ。四人亡き後、魔法使いがいなくなってしまうことを恐れたのだ。神が多くいた大陸では少数民族全員に魔力を与えることなど造作がないが、この島の神は唯一だった。四人から魔力を預かった神は、四人の人間を魔法使いにするので精一杯だった。そうして、神は代々四人の魔法使いを生み出し、四人に熱帯雨林が広がる北西、果てしなく豊かな草原の続く北東、果実の実る木々や豊かな田楽の広がる南西、鉱物に溢れた南東の四つのエリアを管理させた――

 

「これがこの島の起源、そして魔法使いとは何かの答えじゃ。そなた達豊穣の民は他よりも一集落毎の細分化が起こっている故自分たちの集落しか知らないということもあるようじゃが、ここはもっともっと大きな島なのじゃよ」
 少年にとって、島の話はあまりに大きかった。集落の外を知らない少年は、ここが島だということすら知らなかったし、そもそも海というものの存在すら知らない。それでも、自分たちの住むこの場所には果てがあって、自分たちの知らない様々な場所があることは理解した。
「なるほど、魔法使いとは何かはわかりました。しかし、そうなると疑問が一つ残ります。なぜ僕が炎の魔法使いなのでしょうか。草や土、水ならわかります。作物を育てるのに大いに役立てます。しかし炎は、作物を滅ぼす厄介者ではないでしょうか。僕たちを豊穣の民と呼んだじゃないですか。豊穣の民にとって炎など、いらないものなのです。なぜ、炎なのでしょうか」
 少年の問いに、声は再び驚いた。炎は四つの魔法の中でも一番強大で、むしろ一番人気な魔法だというのに。炎は身体を暖め、肉を焼き、人類の進化の礎であったというのに。この火山の、この島の原動力だって炎だというのに。
「炎の魔法を授けられてそのような反応をするのはそなたが初めてじゃ。つくづく面白い少年じゃ」
 少年は声の反応に困惑した。自分たちの常識が常識でないことに困惑した。
「四つの魔法のどれを授けるかは、魔法使いとなる者が産まれた時点で決まっておる。どうやって決まるかは、正直私にもよくわからん。どうも本人の適正によって決定づけられるようじゃがな。だから、他の魔法使いとタイプが被ることもしょっちゅうじゃ。むしろ四人全てばらけていたことの方が稀じゃ。ちなみに言うておくと、今現在はそなたの他にもう一人、炎の魔法使いがおる。鉱物の町に住んでおるから、そなたが集落を出れば会う機会もあるやもしれん」
 少年は、声の言うことは理解できた。理解できたが、わからなかった。この方十五年、炎とは無縁の生活を送ってきたし、特別炎に惹かれるようなこともなかった。それなのになぜ、自分に炎の適正があったのか、わからなかった。
「私がそなたに言いたいことは全て言った。そなたに聞きたいことがないのなら戻ってもらうが、良いか。一度戻ってしまうと、再びここに来るのは骨が折れるぞ」
「骨が折れる、とは」
「四人の魔法使いに限っては私と会話できるが、そのためにはこの火山の麓まで来なくてはならない。そこで魔法を使うことで、こうして会話ができる。それ以外でこうして会話できるのは、魔法使いを任命するこの瞬間のみじゃ。例外として島全体に関わる有事があれば会話するが、まあそんなことはこの一万年ほどで一度としてなかった。無いものとして思ってもらって差し支えないじゃろう」
 少年は思案したが、訊きたいことも、やりたいこともなかった。
「特に何も。そうなると、僕はこの火山とやらから集落まで戻らなくてはならないのですか」
「いやいや、そんな酷なことはせん。目を覚ませば、そこはそなたの集落じゃ。皆心配しておるようじゃし、それじゃあ戻すとするかね」
 声がそう言うと同時に少年の意識は急速に飛び、そして目を開くとそこは確かに彼の集落だった。心配そうに覗き込む多くの顔。その中の一つ、幼馴染の少女は、真っ赤な目で涙を流していた。
「よかった、目を覚まして……ワインを煽ったと思ったら倒れるものだから、心配したんだからね!」
「悪かったな。もう大丈夫だから」
 少年が髪を優しく撫でると、少女は嬉しそうに目を細めた。

 少年が倒れたことで一時騒然としたが、無事とわかると再び宴は再開された。少年は魔法使いについて、また他の集落について大人に訊いてみたい気持ちもあったが、炎の力を持っていると知られて疎まれるのが怖くて、結局誰にも言い出せなかった。

 

 少年が力を授かってから、五年の月日が過ぎた。あれから練習程度にこっそり炎を出したことはあるが、日常生活において魔法を使うことは一度としてなかった。だが、炎を使わずとも、妻子に恵まれ、作物は毎年豊作に恵まれ、不自由ない生活を送っていた。
「あ、お帰りー。ご飯できてるよ」
「パパおつかれー」
「お疲れ様です、父さん」
「私もお母さんと一緒にご飯作ったんだよ」
 収穫を終えて帰ると、かつての幼馴染である妻に、一男二女の子供が笑顔で出迎えてくれる。そんな幸せの絶頂にいながら、少年は魔法のことが胸につっかえたまま、取れることはなかった。明日なのか、来年なのか、はたまた十年後なのかはわからないが、いつか炎の魔法を使わなくてはならない日が訪れる。そんな予感がしてならなかったのだ。
 そして、その予感は今日的中することとなる。

「緊急事態だ! 東の方から甲冑来た兵隊さんが来てるぞ! 皆広場に一塊になるんだ!!」
「動ける男は桑でもなんでもいい、戦える準備をして女子供を守るぞ!」
 突如怒声が上がり、外が騒然とする。少年一家も例に漏れず、身一つで広場へと走った。少年は、自分の運命を悟った。この力で、家族を、集落を守るんだ。何と引き換えにしてでも。そう意気込んだ。
 広場に着くと、妻の肩を強く掴んだ。
「子供たちを任せたぞ」
「ええ、勿論。あなたも気をつけて」
「……そうだな。強く生きるんだぞ」
「えっ……」
 何か言いたげな妻から目を逸らし、少年は走った。誰よりも速く走った。そうして、集落の東端、石の街や地溝まで見渡せる櫓に登った。兵は既に地溝を渡す唯一の大橋へと差し掛かっていた。少年の集落は、島の南西エリアを占める豊穣の地の中でも東端、つまりは地溝のすぐ西方に位置している。少年は大人になってから知ったが、比較的南東の石街と近いここの集落では、作物と石の物々交換で交易が成り立っていた。しかし、今はその石の街から侵略を受けようとしている。兵力に大差があり、橋を渡られたら集落が陥落するも同然。少年は覚悟を決めて、櫓から飛び降りた。そして、力を込めて、最大出力で後方に炎を噴射した。
 炎による推力で、少年は鳥よりも速く飛んだ。炎をまともに使ったことのない少年は、炎で空を飛べることを知らなかった。知らなかったが、不思議と身体が勝手に動いた。代々受け継がれる魔法に、記憶の断片でも混じっているのかもしれない。しかしそんなことは、今の少年に考える余地はなかった。
 数秒のちには、少年は橋の左端へと到達していた。突然の登場に一瞬兵の足が緩んだが、少年一人だけとわかると、むしろ勢いづいて突撃してきた。そんな兵に向かって、少年は炎をぶつける――

「ふっふっふ、そちらに炎使いがいることなど承知しとるわい。私の前では無力だがな」
 小柄ながら底知れぬ力に溢れていそうな少女。彼女の手から噴き出た水によって、少年は炎もろとも吹き飛ばされていた。それでも、少年は立ち上がる。
「お前が誰だろうと関係ない。俺の家族を、俺たちの集落に手を出す奴は、一人残らず燃やす! 何に変えても!!」
 少女は笑う。射るような目で声だけで笑う。
「勇ましいねえ。ところで、この水はあくまで魔法なんだ。つまり、こんな使い方もできるのだよ。それっ」
 水が塊となって、少年を包んだ。そして、少年が炎を出すより早く、水ごと橋の下へと落とした。
「さて、お邪魔虫がいなくなったところで、豊穣の地を奪いに行くかの」
 水の少女ら石の民の目的。それは、豊穣の地を強奪することで、対等な交易ではなく、自らの支配下に置くことだった。
 実は、この島でもかつて一度だけ戦争が起こった。島の民の半数以上が息絶える泥沼となり、怒った神によって四つのエリアは山脈や地溝によって寸断された。その後人々は、山越えの技術を手に入れ、洞窟を掘り、橋を架けることなど、進化し、細々と交流を再開してきた。二度と戦争をしないと、心に誓って。
 しかし、戦争を知る世代はもういない。

 少年は地溝の底に転落し、石の民の勝利は確実。誰もがそう思った。しかし、少年は諦めていなかった。魂をも燃やすほどの炎で水を振りほどき、橋まで再び飛んだ。そのまま勢いを殺すことなく、橋に突っ込んだ。橋は真ん中から粉砕し、木製の橋はあっという間に延焼が広がった。少女の身体は少年の特攻をモロに喰らったことでズタズタに焼き爛れ、水をもってしても再起不能だったが、意識はギリギリ保たれていた。しかし、火を消したり、橋を補うだけの水を出す力は残っていなかった。最後の力を振り絞って自分の灼熱の身体に水を纏おうとしたが、すぐに蒸発してしまった。そして、水を飲み込んでしまったために火傷が一斉に腫れ上がり、更なる苦痛に叫ぶことすらできずに息絶えた。水の魔女を失った兵は、成す術なく地溝へ転落した。
 不思議なことに、炎は橋以外に延焼することはなかった。そして、その後の少年を見た者はいない――

 

 ***

 

 以上が、少年の物語の全てである。
 後日談として、少年の勇気と再び戦争が起こってしまったことに神は泣き、その涙が地溝を流れてあわや溢れるところだったという。そして、以降二度と地溝に架ける橋は作られなかったという。

 勿論、始めに言ったように、これまでの孤島の話は全てが真実で、全てが嘘である。炎使いの少年が本当に存在していて、本当に戦争が起こったのか? 豊穣の地や石の街は――そもそも孤島は、本当に存在しているのか?
 その答えは、この物語を読んだあなたの中にあるでしょう。


 おしまい