天狼星の欠片

自作の小説や趣味について雑多に書きます

最果ての地にて

 30XX年某月某日。温暖化、寒冷化、砂漠化、隕石落下、核戦争。幾度となく訪れた地球滅亡の危機を、人類は奇跡的に生き延びた。最盛期と比べると一握りの、全世界で一万人程度。大幅に人口を減らしたのと引き換えに、生き残った人々は二千年代とは比較にならないほどの生命力を手に入れた。その進化は化学をも超越し、人々は身一つで過酷な環境を生きるという、これまでの人類の進化から逆行した生活を送っていた。


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「ふぅ、ここらはサソリやら毒蛇やらがうようよしてるから、さっきから足が痒いぜ」
 かつてユーラシア大陸だった湿地帯を一人闊歩する金髪の男。彼の生まれはアフリカ大砂漠のど真ん中。湿地帯で繁殖する毒生物への耐性が無い彼にとって、ユーラシア南東部の湿地帯は蜘蛛の巣を掻き分けるような不快さがつきまとう。それでもなお、東を目指す理由がある。
「何代も前から集落で語り継がれる伝説。極東で細々と継承される、地球最強の武術家の遺伝子。それをこの目で見て、俺の手で倒す。そして俺が人類最強に、地球最強になる!」
 何もこの男に限った話ではない。驚異の進化を遂げた者のみが生きる世界。超パワー、超硬質、超スピード、超再生等々、生物の規格を超えた者たちは、我こそが最強を謳おうと競い合っていた。そして、そんな人類共通の認識で共通の伝説。極東ーーかつて日本が存在した列島の残骸。そんな地球を代表する偏狭の地に、代々引き継がれる最強の武術家の血が存在するという。それを狙う世界中の腕っぷし自慢がこぞって過酷な極東への旅へと出るが、帰ってきた者は一人もいないという。最強の武術家に倒されたのか、過酷な旅路で力尽きたのか、それを知る者はまだいない。

 

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「ふあぁあぁ眠い」
 海と小さな島々に囲まれた火山島の中腹で、一人の少女が目を覚ました。周辺一万キロメートル以内に、彼女以外の人類はいない。しかし、彼女にとって一人ぼっちは百年以上続く当たり前で、両親の記憶もとうの昔に置いてきてしまった彼女に、寂しさという感情は欠如していた。少女は気の向くままに海に潜り、溶岩に潜り、年に二、三回程度魚竜や溶岩魚を狩って食していたが、それ以外のほとんどを山肌で寝て過ごしていた。百年のほとんどを日光浴して過ごしてきたはずなのに、不思議と肌は白く、腰まで伸びた髪は黒く、艶やかだ。

 しかし、人を忘れた彼女の前に、百年越しの刺激が差し向けられた。先程ユーラシアで悪態をついていた男、泥は海で洗い流され、輝く金髪が存在を主張している。湿地に阻まれて歩を緩めてはいたが、彼にとって一分で千キロメートルを移動するのは訳の無いことだ。そして、目の前の少女の懐に入るだけならば、光速をも超えられる。
 次の瞬間、男の拳は少女の鳩尾に埋まっていた。
 軽く吹き飛ばされる少女の肉体。男の半分ほどの重量しか無さそうな小柄な肉体は、しかし光速のパンチでも目立った傷を作ることはなかった。
「痛ったいなあ。見たこと無い生き物だけど、やけに好戦的ね。食べれるのかな?」
 軽く着地した少女の軽々しい発言に、男は生まれて始めて冷や汗が吹き出るのを感じた。
「食べるってお前、俺と同じ人間だろ!? 同族を食べるって、それだけはないだろ……」
「同じ? あなた、私と同じなの? じゃあ何でいきなり殴ってきたの?」
 少女が今まで考えたこともなかった、自分のこと。人類のこと。封印されてた記憶が、受け継いできた血が、少女の頭の中で爆発した。
「ああ、なるほど。思い出したわ。うーんと昔、私のお父さんが同じようにお母さんを襲っていたわね」
 そう。少女の父もまた、極東の伝説に挑むためこの地を訪ねていたのだ。そしてーー
「昔……まさか、誰一人この地を目指した者が帰らないのは……細々と最強の血が引き継がれていたのは……まさか……!!」
 次の瞬間、男の左腕は宙を舞っていた。男が手刀の主に向き直る間に、少女の膝蹴りが男の右足を吹き飛ばした。
「こいつ……!!!!」
 男は負けじと後ろに回り込み、一秒間で千発のパンチを繰り出した。千発全て少女の背中に当たったが、彼女の肉体は弾け飛ぶことはなく、振り向きながらのデコピンで男の頭頂部が吹き飛んだ。
「あなた、本当に私と同じ? 少し私より速く動ける程度で、あとは何もかも脆いわ。お父さんは千切った腕を三秒で元通りにできたから、お母さんを十分楽しませたっていうのに……まあいっか」
 男にも、いや、人類にも肉体の再生機能は備わっている。一分もあれば、最初に飛ばされた左腕を生やすことができるだろう。しかし、超再生の力は備わっていない彼は、少女の破壊の前ではそんな機能、無いも同然だった。
「あなたとの子なら、多少速く動けるようになるのかな。私もそろそろ空に飽きてきたし、頃合いかな?」
 最早意識の無い男に跨がり、少女は生物としての最も原始的な行為に及んだ。脊髄反射的に最期の生を放出した男は、二人分の栄養分となる肉塊に成り果てた。

 


 ーー

 


 31XX年某月某日。百年前と変わらず過酷な環境を生き抜く人類は生物としての規格を超えているが、極東の武術家伝説は依然語り継がれている……。

ことだま

「言霊って知ってる?」
 僕の枕元に立った幼馴染みの少女は、突然そう訊いた。
「人間が紡ぐ言葉の一つ一つには、魂がこもっているという、日本人に古くからある考え方。だよな?」
 彼女は、黙って首を縦に振った。
「言霊の力は、確かに存在するの。そしてそれは、私たちの想像を遥かに越える威力を発揮する。いい意味でも、悪い意味でも」
「ああ、知ってる」
「でも私ほどには知らない、よね?」
「ああ」
 彼女は俺を通り越して壁を見つめるような、そんな遠くを見るような眼差しをした。彼女はたまに、こういう表情をする。そのことをもっと早く気にかけていたら……なんて、今更思ったところで、もう結果は変わらない。事実は、覆せない。
「なあ、何でお前……」
「言ったでしょ。言霊は、あなたが思っている以上に強大で、異常なの。私の心は、もう誰にも戻せない。あなたにもね」
 そう言って彼女は俺から眼を反らした。一瞬光るものが見えた気がしたのは、気のせいではなかったと思う。
「でも! だからこそその言霊を上手く使えば、お前の心だって戻せたはずだ。少なくとも俺には……っ」
 彼女は背を向けたまま、後ろで手を組んだ。
「確かに、言霊を上手く使えば、暖かい気持ちになれる。幸せにだってなれる。でもね、一度負った傷は絶対消えないの。一生、消すことは出来ないの。だからあなたには知っておいて欲しかった。人間の心は、ガラス細工よりも割れやすくて、脆いということを。だから、何でも思ったことを言えばいいんじゃないってことを。口に出した時点で、言霊にしてしまった時点で、もう誰にも元に戻せないということを」
 途中から涙声になり、終わりの方には嗚咽も混じっていたが、それでも彼女は最後まで続けた。彼女の、最期の言葉を、精一杯紡いだ。
「ごめんな。お前のこと、救えなくて。お前のこと、誰よりも分かってたつもりだったのに」
「いいよ。あなたは何も悪くない。それに、今の言葉で私、ほんの少しだけど暖かくなった気がする。ありがとね。私の幼馴染みでいてくれて。いつも一緒にいてくれて。そして……先に死んじゃって、ごめんね」
 彼女は最期に振り返ろうとして、横顔を見せたところで躊躇して、そして消えた。
「何だよその顔。そんな顔、最期に見せんなよ。そんな悲しそうな顔するなよ馬鹿野郎!」
 言ったところで、もう彼女には届かない。ただ俺の言葉は虚しく響き、俺の心を一層惨めにした。

 彼女は、心優しい、誰にでも好かれる少女だった。だから彼女のことを嫌う人なんて現れず、言葉の刃なんて全く知らずに過ごしてきたのだろう。あの時までは。
 あるとき、彼女に突っかかる女子が表れた。そいつは誰にでも好かれる彼女を妬み、彼女を貶めようとした。
 周りの人間は、そんな愚かなやつに流されるほど腐っていなかった。それでもそいつは、一人で俺の幼馴染みに酷い言葉を浴びせた。
「性悪女」
「偽善者」
「尻軽」
 思い出すだけでヘドが出そうだ。俺を初め周りの人間は「気にすることはない」「誰もそんなこと思っちゃいない」と彼女を慰めた。彼女は気にしてないと、笑った。
 その頃からだと思う。彼女がボーッと遠くを見るような眼をするようになったのは。
 そしてそれから間もなく、彼女は首を吊った。一言「ごめんなさい」とだけ書かれた遺書を遺して。

 彼女がどれだけ苦しんでいたのか。それは彼女の言う通り、俺たちには察することの出来ないほど、酷いものだったのだろう。たとえたくさん味方がいても、たった一人の力で人を壊すことも出来る。彼女は、そのことだけは、忘れてほしくなかったのだろう。

 僕も決して忘れない。言霊の力を。

理想の死に方

「いつかさ、何十年か先、死ぬ時が来るじゃない。あなたは、どういう風に死にたいとか、考えたことある?」

 まだ夫と結婚していなかった頃、何を思ったのか、ふとそんなことを訊いたことがあった。
「そうだな……あまり考えたことないけど、愛する家族に見守られながら、眠るように死にたいかな」
 唐突過ぎる問いかけに彼は、顎に手を当てて考え込みながら、ゆっくりとそう言った。その後ニヤリと笑って「俺としては、それが君だったら嬉しいな」などと言ってからかうものだから、その話はうやむやになり、記憶の彼方に仕舞い込まれてしまっていた。ついさっきまでは。

 あの時は言えなかったけど、私も同じことを思っていたんだよ。愛する家族……あなたに見守られながら、ゆっくりと、眠るように死にたい――なんてね。恥ずかしがり屋の私は、あなたみたいにサラリと臭いことが言えないから、ただ照れて困ったように笑うしかできなかった。もっと、もっと、言いたいことを言えばよかった。伝えたい気持ち、全て伝えていればよかった。身体の感覚がなくなって指先一ミリさえ動かないのに、頭だけは不思議と覚醒している。ああ、死ぬ間際とは、こういうものなんだな。

「おい、今すごい音がしたけど……っておい! 大丈夫なのか!?」
 気のせいかな。もう視覚も聴覚もほとんど消えているというのに、家から飛び出してくるあなたがはっきりとわかる。理想の死に方じゃないけど、最期にあなたと一緒にいられてよかった。でも、ごめんね。少し早いけど、何十年か先あなたが来るのを待ってるから。だから、しばらくお別れだよ――。
 私、笑えていたかな。それとも、泣いちゃったのかな。その答えは、私にはわからない。